総鎮守神田神社例大祭は、毎年、秋の日(9月23日)に、「本祭り」が行われているが、
  この「本祭り」当日には、阿賀町の各迫より大太鼓を奉納するのがしきたりとなっている。
 大太鼓奉納の起源は、神社の古文書によると江戸時代の初期、慶長年間(1600年代)
  に始まり、今日に至までおよそ400年間にわたっつて承け継がれている阿賀町の伝統行
  事である。

 当時、大太鼓はあまり大きなものではなく中太鼓(直径80センチ前後)ぐらいの大きさ
  のものであったようであるが現在のような大太鼓(直径1メートル以上)が中心となって
  くるのは、今から約200年前の江戸時代中期、寛政年間(1780年代)の頃である。
 例大祭には、大太鼓を有する原・郷・田中・神立・大上・東浜東部・同西部・東町・中町
 ・西町・東延崎・西延崎の12迫の内,神立・田中・郷・原の4迫を上組とし、残りの8迫
  を下組として、「宵祭り」には上組と下組とが年毎に交替で当番となり、太鼓行列を奉納
  するのが慣例である。

 「本祭り」には一斉に12迫より大太鼓を出し、正午に神社に集合し、神興を中心に神興行
 列を組み、当番の組を先頭に神社を出発し、その当時、賀茂郡唯一の商業港として繁栄し、
  海上交通の守護神であります摂社延崎住吉神社(宮島の管弦祭の御座船を曳航する漕ぎ舟を
  お祓いする神社でもある)へ渡御を行うのである。
 摂社延崎住吉神社での神事の後に持参していた幟、旗を高張り、弓張り提灯に持ち替えて
  夜支度を整え午後8時頃に還御となるのである。その後、夜中まで大太鼓と笛の音が鳴り
  ひびいてたのである。
  神興行列には、踊り行列や舟形の山車なども加わりそれは大変盛大なものであったと伝え
  られている。

 現在、神興行列に使われている神興は、享保四年(1719年)の例大祭からのもので、
  飾り金具などは万延元年(1860年)に新調し取り替えたものである。
  神興は本漆塗りの総金張りで、台座110センチ、屋根の大きさ130センチの大きなも
  ので広島県内ではこのような大神輿は珍しいものといわれている。
  この黄金の神輿は大変美しいものであったようで、摂社松尾神社ではこの神輿行列を模し
  て、文政13年(1830年)9月に神輿を購入した記録が残されている。
  大太鼓も江戸時代のものがそのまま現在まで伝えられており、最も古いのは原のもので担
  ぎ棒に寛永(1620年代)の年号が記され、大阪城の登城太鼓であったとも伝えられて
  いる。西町のものには明和(1764年代)、神立のものには文化(1804年代)、東
  延崎のものには天保15年(1844年)、大上のものには安政3年(1856年代)の
  年号が記され、その古い歴史と当時の阿賀の町の繁栄と人々の心意気をうかがい知ること
  ができるのである。
総鎮守  神田神社社務所
神田神社 神輿行列の由来